北島康介物語

TV、新聞、インターネット、メディアは眠ることを知らない。
「北島康介失踪」のニュースは瞬く間に世界へ広がった。


『俺より強い奴に会いに行く』

分かりやすい一文と強烈なインパクトを残し、北島は姿を消した。
街角の驚きの声、胡乱な評論家の憶測、実家への突撃取材。
水を得た魚の如くメディアはイキイキと泳ぎ回り、つられて世間も泳いだ。

「こいつら何もわかっちゃいないな」
真昼間のニュース番組を見ながら北島は吐き捨てる様につぶやいた。
謗りを免れないのはわかっていたが、でっち上げのニュースには反吐が出る。
スポンサーとの衝突? 恋人との不仲? どっからそんな話になんだ。
文字通り強い奴に会いたいだけ。好敵手がいない競技に興味を失っただけだ。
自分の出した世界記録は埃をかぶり、1という数字ににありがたみも達成感も見出せない。
それが嫌になった。楽しくない水泳なんて、水泳じゃない。

画面の中にはでっち上げられた北島が映っている。
ゆらゆら動く水面に映る影。そんな不確定なものを世間は疑わない。
優雅に水中を泳いでいた自分が、気づけばエサに成り下がっているとは。
ハハッ。自嘲にも似た笑いがこみ上げてきた。
それを押し流す様にゴキュッと喉を鳴らし、コーラを一気のみして北島は席を立った。

「勘定お願いしまーす」
「まいどー。おや、お兄さん北島に似てるね」
「はは、よく言われます。もう大変ですよ特に最近は」
「まぁ、本物がこんな辺鄙なラーメン屋にいるはずねぇよな」
「いやーおいしかったですよ。ごちそうさま」
「あいよー。またおいでー」

冷房の効いた店内を出ると、ジットリした汗が衣服にまとわりつく。
サングラスをして歩き出そうとする北島を、力強い声が引き止めた。
「これ、もって行きな!」
キンキンに冷えたコーラを2本投げ渡す大将。
しっかり受け取った北島がお礼を言う前に大将は続ける。
「あー、なんだ。こっから北に5キロくらい行くと山がある。行ってみろ」
「山…っですか?」 突然の提案に困惑を隠せない。
「強い奴がいるよ。ここらでは仙人扱いさ」
「……えっとー
「年配の意見を尊重してもバチ当たらんぞ、見知らぬ青年」
「……はい。ありがとうございます」
「登ると祠があっから。そこでそれ1本供えてみな。あいつぁコーラが好きなんだ」
北島はもう一度お礼を言うと、北に向けて歩き出した。


温かいラーメンを作る人は、温かい人が多いよなぁ。
大将は自分の正体に気づきながらも、何も聞かなかった。
それどころか助言までしてくれた。嘘を吐いてるようにも思えない。
信じるに値する人だ。北島は様々な疑問と汗を拭い無心で歩き続けた。

山を登ると古ぼけた鳥居と祠が見えた。
3段しかない石段を一歩一歩踏みしめ、祠の前にコーラを置いた。
……何も起こらない。ハハッそりゃそうだ。これは大将にやられたな。
北島は大きく空気を吸い込み、落胆混じりの溜息を吐いた。
「仙人なんているはずないじゃないか」
祠に背を向け踵を返す。


「どうしてそう言いきれる?」

背後の声に驚いて振り返る北島の目に、それ以上の驚きが飛び込んできた。
「うわっ!!」驚きの声を目の前のモグラに浴びせる。
モグラ。

モグラ。

モグラ? モグラ。
モグラだ。


ずんぐりとした胴体。長い鼻。短い手足に鋭い爪。
北島の目の前にいるそれは、まさしくモグラだった。
ただサイズは小柄な女性くらい…150センチはあるだろうか。

「お前の言いたい事はわかるよ。仙人じゃない。仙土竜じゃん! だろ?」
口をパクパクさせる北島にモグラは薄ら笑みを浮かべる。
「まるで水を失った魚だな」
水という言葉を聞き、なんとか落ち着きを取り戻す北島。
それでも声はやや上擦りながら、目前の驚異に話かける。
「ああ、の、何から聞いたら良いやら」
「まぁお互い初対面だ。自己紹介といこうか。コーラでも飲みながらな」

「おめぇさん驚いてるから、オラっちから。
 見ての通りただのモグラだ。ここに住んでる。地元民にゃモグラ仙人と呼ばれてるよ。
 人じゃねぇから仙人ってのはおかしいつってんだが、しかし仙土竜じゃ語呂が悪ぃときた。
 まぁ好きに呼んでくれ。名前なんて自分を呼んでもらってるのに気づきゃそれでいい。
 山のふもとにタエつう幼子がいるが、そいつぁモグタンと呼ぶぜ。なかなかカワイイだろ?
 まぁそんなとこか。ほれ、おめぇさんの番だ」

「僕は北島康介と言います。水泳をやっていて……色々あって旅をしています。
 水泳が得意な人を探していたら、5キロ程先のラーメン屋の大将が貴方のことを……」

「サブか。あいつぁお人よしだからな。」
「あの、なんで言葉を話せるんですか?」
「モグラが人語を話しちゃいけねぇかい?
 まぁ、ほら、犬マネのうまい奴っているだろ?ありゃ実は喋れてるんだよ犬語をな。
 ただ言葉として認識できねぇだけだ。喋れてるけど理解ができてない。
 発音は合ってんだがどういう意味の言葉を喋ってるかわからんのさ。
 オラっちみたいに、人マネがうまくて言葉も認識できる奴が稀にいるってこった」
「はぁ。すみませんよくわかりません。でも貴方が喋ってるのは現実なので受け止めます」
「おう。受け止めてくれ。あと遠慮せずにモグタンと呼んでくれていいんだぜ?」
「遠慮します」
「遠慮するな」
「モグタン」
「呼んだ?」

一人と一匹は笑い合った。すぐに打ち解けることができた。
驚きも恐怖も混乱もコーラの酸と一緒にハジケた。
一方的に質問攻めにし、毛だらけの生暖かい身体を触らせてもらい、オラっちって一人称が気持ち悪いと毒を吐いて殴られたところで、北島はこれまでの経緯を話した。


「百聞は一見に……ってやつだ。湖で泳いでみっか」
「モグタンって泳げるの?」
「モグラってのは元来泳ぎの得意な動物だ」


その通りだった。速かった。勝てなかった。
優勝も金メダルも栄光も羨望も手にした自分が、勝てない。
予想もしなかった。モグラに負けるなんて。

「やーい井の中の蛙」
「そうみたいだ……ショックだ」
「ほんじゃもうひと泳ぎすっか」
「今度は負けない!!」
「あー違うそっちじゃない。こっち」

モグタンは地面を指差している。

「土の中、泳ぐぞ」
「いやいやいやいや、僕はモグラじゃないから!」
「オラっちは視力がほとんど無い。でも色んなものが見える。
 コウスケのこともだいたい見えた。先入観が強すぎんだよおめぇは。
 土の中は泳げない? モグラは喋れない? 仙人なんていない?
 自分より速い人間はいない? どうしてそういい切れる?」
「……いや、でも、
「水の中は大丈夫で土の中はダメかい? そりゃどうして?
 口に土が入るから? 水だって口に入るだろ?
 息ができない? 水の中だって息できないだろ? 何が違う?
 水を掻き分けるのも土を掻き分けるのも同じだ。オラっちを信じてみろ」

胸が熱くなった。
北島はいつも”信じてる”と言われる側だった。
信じてるぞ北島! 金メダルをとってくれ! と。
勝手に押し付けられてきた一方通行の信頼関係。
モグタンは違った。信じてみろと言った。信じるしかなかった。


信じた結果、人間は土の中を泳ぐことができた。
きっと誰も信じてくれないだろう。
信じてくれない時はなんと言おう。
あぁ、そうか、信じてみろ、か。

「じゃ、次は空でも泳ぐか」

もう北島は驚かなかった。
むしろ自分が空をも泳げると確信していた。
モグタンの友人、ウミネコさんが空泳を教えてくれた。
人間は水も土も空も泳ぐことができた。モグラも。ウミネコも。
きっと。誰だって。



一人と二匹はコーラで乾杯し、帰路についた。







TV、新聞、インターネット、メディアは眠ることを知らない。
「北島康介復活」のニュースは瞬く間に世界へ広がった。

北島のいない間に、世界記録は2秒も塗り替えられていた。
いるじゃん自分より速い奴! 自分は自惚れていただけだと知った。
記録と自信に溺れていた。ハハッ水泳選手が溺れていたなんて。

北島は復帰戦で世界記録をさらに3秒縮めた。
新生北島に歓喜の声が上がる。

「この結果を誰に捧げたいですか?」
「サブさんと、モグタンと、ウミネコさん。そして僕を信じてくれた皆さんへ」

北島は力の限り叫んだ。

「チョー気持ちいい!!」

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